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2023/03/03

AKB48武藤十夢卒業コンサート「優魂継承・大島優子の直筆手紙全文&マル秘エピソード」

 AKB48武藤十夢さん(28)が2月28日、東京・立川ステージガーデンで「武藤十夢卒業コンサート~やるだけやったから後悔なんかねぇ!~」を行いました。その中でも、ひと際大きな感動を呼んだのは、尊敬する先輩・大島優子さんからの直筆の手紙が読み上げられたアンコールシーン。終始、晴れやかな笑顔でパフォーマンスをしていた十夢さんも、さすがに涙がこぼれました。ここでは、そんな大島さんとのエピソードとともに、そのハイライトシーンと、十夢から後輩メンバーたちへのラストメッセージをお届けします。

 さすがに瞳が潤んだ。アンコール最後の曲の直前。向井地美音(25)から手紙を代読された。

大島優子 手紙全文


 十夢へ
 2011年にAKBとしての活動が始まり、2012年に同じチームとして共に歩み始めましたね。あれからもう11年もの時間が経ち、いつの間にか、武藤十夢は立派なアイドルになっていました。

 出会った頃のことをよく覚えていて、私はなぜか、あなたの顔に惚れ込みました。整った上品な顔に、私と同じような小柄な体。でも、目の奥に強い意志がありそうな眼差しを見つけて「この子だ」って、私の中でピンときたことを覚えています。


 誰からか? 客席の皆の期待が、ここで確信に変わる。会場の温度が1度、そして十夢の口角もぴくっと上がった。

 そこから同じチームで劇場に立つ時は、色々なことを学んでスキルにしてほしいと、やたら厳しくしました。そのころの十夢は、歌ってるときも踊っているときも、何故か振りがついていないときの手が、いつもグーでした(笑) 曲中の移動も肩に力が入っていて、とにかくぎこちなく、右手と右足を同時に出してしまうような不器用さ。MCで話を振っても、愛想があまりない、そう、ポンコツでした。

 声出しOKの会場で、この日一番の爆笑が起こった。

 だけど、そこが愛おしいところでもありました。ポンコツだけど、一生懸命に取り組む姿勢があって、口うるさくいう私に文句1つ言わずに、ついてきてくれていました。…いや、どこかで言っていたかもしれません。

 嫌われてもいいと思いながら厳しくしていたけれど、十夢のお父さんが「優魂継承」という言葉を作り、その文字が入ったパーカーを着て、「見てくださーい!」と、十夢がうれしそうに近づいてきてくれたときは、「愛情が届いた」と、すごくうれしかったです。

 私は、何事にも一生懸命に全力で取り組む人が好きです。約12年間走り続けた十夢は、まさにその優魂継承のスピリッツを体現してくれた1人だと思います。
 AKBの活動をしながら、大学も大学院でもしっかり勉強して、二足の草鞋を履く十夢を尊敬していました。誰にでもできることではないと思います。本当にお疲れさまでした。

 十夢が言ってくれたように、卒業後、いつの日か共演して一緒にお芝居できることをすごく楽しみにしています。そして、私からもファンの皆さんに感謝の気持ちを言わせてください。

 子分である武藤十夢のアイドル時間を応援してくれてありがとうございました。今後も彼女の応援をよろしくお願いします。卒業おめでとう、大島優子より


 万雷の拍手の中、十夢は何度も宙を見上げて、涙をこらえた。とてつもなく遠い背中を追い続けた先輩に、その努力を認められた。尊敬しているとまで言われた。何よりもうれしい“卒業祝い”に、胸がこみ上げずにはいられなかった。

ポンコツスイッチ再起動?


 「優子さぁ~ん。マジ? 本当だー、泣いちゃーう。いやぁ、でも、うれしい、優子さぁんありがとうございます、本当にでも…。うれしいです、そうやって…、あっ、えっ、ヤバイ、またポンコツになっちゃう(汗)」

 ここまで完璧に振る舞っていた十夢が、一気に若手時代にタイムスリップしかけた。トラウマとは怖いものである。

 「本当にあのころは何にもできなくて、色々迷惑をかけた、そんな先輩に、こうやって『おめでとう、頑張ったね』って言ってもらえるのは、やっぱりうれしいです。大島Kに入っていなかったら、私にはこんなにKのイメージが付かなかった。本当にうれしいです、優子さん」

本紙も見た師妹の絆


 まだ、気象予報士の資格も取れていない遠い昔。AKB新聞が十夢を特集を組むときに、大島は「変わり者好きのAKB新聞さん、大丈夫ですか? 十夢って本当にふつ~うの子ですよ(ニヤリ)」と、愛情たっぷりに紹介してくれた。

 ポンコツさをイジっての叱咤激励だが、大島が直々にメディアに後輩を紹介することは珍しく、期待をかけていることは明らかだった。

 あれから長い年月が経ってのゴール。本人が、終演後の会見で「一番の思い出は、(第10位で)晴れの総選挙ランクインコンサート(16年)で発表された『ハイテンション』選抜に入れてもらえなかったこと!! あの悔しさは一生忘れません!!」と振り返ったように、決して“運営推し”といわれるメンバーではなかった。

 AKB48選抜総選挙で、毎年少しずつ順位を上げたように、大学→大学院→気象予報士合格と、コツコツと地道な努力の積み重ねで、オンリーワンの境地にたどり着いた。元祖神セブンたちが、その才能と時流で様々な成功例を作った後に、そんなレジェンドたちでも無しえなかった、別の新たな道を、己の力だけで切り開いてみせた。

 12年もかかったが、最後にあの大島優子に「尊敬」と言わしめたのも、納得のアイドル人生だった。

十夢が示した生きる道


 自他共に認める元ポンコツが、今や、お天気お姉さん、リポーター、知性派のバラエティータレント、女優として活躍。その生き方は、未来を模索する大勢の後輩たちの指針になりえる。卒業会見の最後に、こう語った。

 私が大事にしていたのは「諦めないこと」、そして「他人の良いところを見つけること」。
 「どうせ無理だし」って諦めたら、伸びるものも伸びなくなります。常に追い求める力は、負けず嫌いの私にはあったかな。

 そして、AKBの良さは、大勢のメンバーがいて、いろんな個性や長所を知れることです。そこに刺激を受けて近づこうとすると、だんだんレベルアップして、いつしか自分らしさになったりするんです。私は、優子さんに一番影響を受けたのはもちろん、倉持(明日香)さんには握手会でのファン対応を学びましたし、後輩にすごく慕われていた峯岸(みなみ)さんのことは「どうやったらこうなれるんだろう」って、ずっと見て学んでいました。そうやって、少しずつ色んなメンバーから吸収していくのも、良いかと思います。

 ポンコツな私の中には何も入っていなかったから、スポンジのようになれたのかな(笑)。


 かつては、緊張しいでMC下手だったが、21年夏からはフリーアナウンサー生島ヒロシ(72)の芸能プロ・生島企画室に所属して、メキメキとトーク力をつけている。
 「私は完全に場数です。事務所のお仕事はもちろん、AKBで毎日劇場に立ち続けられたことも良かったです」

時間は有限 がんばれ!


 自分の跡を継いでアイドルを続ける妹・小麟(22)への感謝の手紙には「時間は有限 がんばれ!」と書いたという。
 4300日。たとえ、チャンスの順番が回ってこないときでも、研鑽を積むことだけは忘れなかった十夢だからこそのラストメッセージ。17年ものAKB48の歴史に、確かな足跡を残して、新しい人生に羽ばたく。

(写真10枚)

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