2022年4月号
2022/04/28
NGT48清司麗菜&日下部愛菜ラスト対談 “にゃーにゃー” ヒストリーを語る
NGT48の日下部愛菜さん(20)が、2月の生誕祭で卒業発表。4月末で卒業し、芸能界を引退されます。Forty-Eight Timesでは、「にゃーにゃー」ラスト対談をセッティング。「あいにゃー」の相方、「れいにゃー」の清司麗菜さん(21)と「にゃーにゃーコンビ」のヒストリーを振り返るとともに、ファンの方へのラストメッセージを届けます。
――清司さんには卒業をどう伝えましたか
日下部 高校を卒業した2020年春から考え始めて「20歳で卒業しよう」と思ったんです。その年の冬、はっきりと決意したときに麗菜に「ちょっと話せる?」って電話をしました。
清司 電話が来たときは緊急だから、何かあるなと思いました。
日下部 「20歳をメドに辞めようと思ってる」と伝えました。
清司 私は決断前からも相談は受けていたので、びっくりはせず、「ついに決断できたんだな」って思いました。寂しい気持ちもあったけど、引き止めずに受け入れようと思いました。
いつかは別れが来るし、卒業しても私たちの関係はそのままなのは分かっているので、応援する心境でした。
――発表日までに知っていたメンバーは
日下部 麗菜だけでした。
――その日、西村菜那子さんが、楽屋で「愛菜が卒業発表するから盛り上げようぜ」と言ったことを悔やんでいました
日下部 メイクが終わってスタンバイしているときに、菜那子ちゃんがノリで「あいにゃー、今日卒業発表するんでしょ?」みたいに言ってきて。いつもだったら「しようかな?」って冗談で言えたかもしれないけど、本当にするから、冗談も言えなくて(苦笑い)。
清司 私もドキッとした。
日下部 隠していたわけでもないので、バレてもいいんですけど、本番直前でバレたら気まずいじゃないですか。
――「涙サプライズ」で涙が止まらなくなりました
日下部 前だけ見て歌っていたんですけど、「涙サプライズ」で泣いているメンバーの顔を見たら、卒業を実感してしまって…。「皆と一緒に歌ったり踊ったりできなくなるんだな」と寂しくなっちゃって、涙が一気に溢れ出てきました。
清司 あんなに泣ける曲だとは! めっちゃいい曲でした。
――「にゃーにゃー」コンビの歴史を振り返ると
清司 出会いはバイトAKB(2014年)です。
日下部 お互い中学1年生。最終オーディションの受付で、私の後ろの子がギラギラしていて、ちょっとチャラついている感じの子がいたんですよ。それが麗菜でした。当時、なこみくさんが活躍されていて、「いつかこの子とコンビとして活動するのかな?」と思っていました。
清司 毎回聞くけど信じられない。
日下部 そのときはただの妄想だったけど、それが現実になるなんて、運命だったんです。
清司 私は逆に、オーディションの愛菜を見て、「仲良くなれないタイプ」と思ったんですよ。ドラフト2期候補生合宿のときに、ようやく仲良くなって打ち解けました(笑)。
その頃から愛菜はダンスがめちゃくちゃ得意だったので、お手本にして練習をしていました。私はダンスが苦手なので助けられました。
――当時からダンスは踊れると?
日下部 めちゃめちゃ思っていました(笑)。自信がありました。
清司 自信満々だったよね! 実際にポジションが良くて、手の届かない存在でした。センターもやっていた。
――西荻さん(西潟茉莉奈、荻野由佳)や松岡はなさんが指名されて、自信を無くしたりは?
清司 落ちたときは「もうダメなのかな」と思ったけど、私は、逆にみんなが活躍しているのを見て、よりアイドルに憧れを持って、また一緒にやりたいという気持ちが強くなりました。
日下部 分かる! 昨日まで一緒にダンスしいてた子が、テレビに出てたり劇場公演に出てて、「また会いたい、また一緒のステージに立ちたい」という気持ちになりました。
――そしてNGT48の1期生オーディションを受けます
清司 受ける前に愛菜に相談しました。
――新潟に行くことの不安は?
清司 不安しかなかったです。私は中学生のときから親元を離れて生活していました。友だちと離れるのも、1人で新潟でやっていけるのか不安が大きかった。実際に活動を始めて半年ぐらいは、ホームシックで毎日泣いていました。
日下部 泣いてたね。私は不安はなくて、とにかく48グループのアイドルになったうれしさしかありませんでした。
清司 全てが真逆だよね。
――これからというところで、2人は研究生に
清司 私はNGT48に入れたことが自体がうれしくて、研究生がそんなに大変だとは思っていなかったです。
日下部 私は逆に、もともと48グループが大好きだったので、研究生制度も把握していました。みんなで研究生を経験してからの昇格はあっても、NGT48の1期生のように、いきなり区分けされたことには「こんなに残酷な世界があるんだ」って落ち込んじゃって、めっちゃ泣きました。麗菜が励まして、助けてくれました。
清司 良かった、ありがとう。私も、実際に研究生になってみると、アンダーとして1人で何ポジションもやらなきゃいけなくて、大変なことばかり。心が折れそうになりましたけど、研究生の曲をもらったときは本当にうれしくて、私たちの存在がやっと認められた気がしました。
日下部 朱鷺メッセで昇格発表があったときも、「よしきた!」じゃなくて…。
清司 自分の名前が呼ばれるまでめっちゃドキドキしました。ここで呼ばれなかったらどうしようっていう気持ちでした。
――2人で一緒にした活動の思い出を
清司 私はTDCホール(2018年)のユニットコーナーで「LOVE TRIP」を、にゃーにゃーWセンターでやらせていただいたことです。この曲ではアクロバットも披露したし、私たちからこそできるパフォーマンスだったので、思い出に残っています。
日下部 いっぱいあるけれど、2017年の総選挙のランク外コンサートが思い出深いです。NGT48だけで「僕たちは戦わない」を披露して、Wセンターをさせていただきました。あとは、そのコンサートでの48グループの若手選抜で、「言い訳Maybe」をNGT48から私たち2人を選んでいただいたことが、思い出に残っています。
――卒業発表の日に、「日下部さんが卒業したら誰がダンスを教えるの?」と話題になっていました
清司 愛菜って本当に人をまとめる力があって、みんなが愛菜には絶対的な信頼を寄せていたんです。レッスンでも愛菜に頼ることがたくさんあったのですが、そこは私が。
日下部 おっ! 私は、ダンスは揃えることが大事だと思っています。横のラインや、振りのズレを、レッスン中に「ちょっと待ってください」と止めて指摘していました。その役割は大事ですが、麗菜も周囲を見ることができるので大丈夫だと思います。
清司 任せて! NGT48全体の横のラインと振りを揃えるところだけは、私が継承したいと思います(笑)。
(写真4枚 ③④はTDCホールで披露した思い出の「LOVE TRIP」)
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NGT48清司麗菜&日下部愛菜ラスト対談 “にゃーにゃー” からのメッセージ に続く
2020年冬、れいにゃーに決意を報告
――清司さんには卒業をどう伝えましたか
日下部 高校を卒業した2020年春から考え始めて「20歳で卒業しよう」と思ったんです。その年の冬、はっきりと決意したときに麗菜に「ちょっと話せる?」って電話をしました。
清司 電話が来たときは緊急だから、何かあるなと思いました。
日下部 「20歳をメドに辞めようと思ってる」と伝えました。
清司 私は決断前からも相談は受けていたので、びっくりはせず、「ついに決断できたんだな」って思いました。寂しい気持ちもあったけど、引き止めずに受け入れようと思いました。
いつかは別れが来るし、卒業しても私たちの関係はそのままなのは分かっているので、応援する心境でした。
――発表日までに知っていたメンバーは
日下部 麗菜だけでした。
――その日、西村菜那子さんが、楽屋で「愛菜が卒業発表するから盛り上げようぜ」と言ったことを悔やんでいました
日下部 メイクが終わってスタンバイしているときに、菜那子ちゃんがノリで「あいにゃー、今日卒業発表するんでしょ?」みたいに言ってきて。いつもだったら「しようかな?」って冗談で言えたかもしれないけど、本当にするから、冗談も言えなくて(苦笑い)。
清司 私もドキッとした。
日下部 隠していたわけでもないので、バレてもいいんですけど、本番直前でバレたら気まずいじゃないですか。
――「涙サプライズ」で涙が止まらなくなりました
日下部 前だけ見て歌っていたんですけど、「涙サプライズ」で泣いているメンバーの顔を見たら、卒業を実感してしまって…。「皆と一緒に歌ったり踊ったりできなくなるんだな」と寂しくなっちゃって、涙が一気に溢れ出てきました。
清司 あんなに泣ける曲だとは! めっちゃいい曲でした。
出会いはバイトAKB、相手の第一印象は…
――「にゃーにゃー」コンビの歴史を振り返ると
清司 出会いはバイトAKB(2014年)です。
日下部 お互い中学1年生。最終オーディションの受付で、私の後ろの子がギラギラしていて、ちょっとチャラついている感じの子がいたんですよ。それが麗菜でした。当時、なこみくさんが活躍されていて、「いつかこの子とコンビとして活動するのかな?」と思っていました。
清司 毎回聞くけど信じられない。
日下部 そのときはただの妄想だったけど、それが現実になるなんて、運命だったんです。
清司 私は逆に、オーディションの愛菜を見て、「仲良くなれないタイプ」と思ったんですよ。ドラフト2期候補生合宿のときに、ようやく仲良くなって打ち解けました(笑)。
その頃から愛菜はダンスがめちゃくちゃ得意だったので、お手本にして練習をしていました。私はダンスが苦手なので助けられました。
――当時からダンスは踊れると?
日下部 めちゃめちゃ思っていました(笑)。自信がありました。
清司 自信満々だったよね! 実際にポジションが良くて、手の届かない存在でした。センターもやっていた。
――西荻さん(西潟茉莉奈、荻野由佳)や松岡はなさんが指名されて、自信を無くしたりは?
清司 落ちたときは「もうダメなのかな」と思ったけど、私は、逆にみんなが活躍しているのを見て、よりアイドルに憧れを持って、また一緒にやりたいという気持ちが強くなりました。
日下部 分かる! 昨日まで一緒にダンスしいてた子が、テレビに出てたり劇場公演に出てて、「また会いたい、また一緒のステージに立ちたい」という気持ちになりました。
NGT48に入ってからの試練の受け止め方も真逆
――そしてNGT48の1期生オーディションを受けます
清司 受ける前に愛菜に相談しました。
――新潟に行くことの不安は?
清司 不安しかなかったです。私は中学生のときから親元を離れて生活していました。友だちと離れるのも、1人で新潟でやっていけるのか不安が大きかった。実際に活動を始めて半年ぐらいは、ホームシックで毎日泣いていました。
日下部 泣いてたね。私は不安はなくて、とにかく48グループのアイドルになったうれしさしかありませんでした。
清司 全てが真逆だよね。
――これからというところで、2人は研究生に
清司 私はNGT48に入れたことが自体がうれしくて、研究生がそんなに大変だとは思っていなかったです。
日下部 私は逆に、もともと48グループが大好きだったので、研究生制度も把握していました。みんなで研究生を経験してからの昇格はあっても、NGT48の1期生のように、いきなり区分けされたことには「こんなに残酷な世界があるんだ」って落ち込んじゃって、めっちゃ泣きました。麗菜が励まして、助けてくれました。
清司 良かった、ありがとう。私も、実際に研究生になってみると、アンダーとして1人で何ポジションもやらなきゃいけなくて、大変なことばかり。心が折れそうになりましたけど、研究生の曲をもらったときは本当にうれしくて、私たちの存在がやっと認められた気がしました。
日下部 朱鷺メッセで昇格発表があったときも、「よしきた!」じゃなくて…。
清司 自分の名前が呼ばれるまでめっちゃドキドキしました。ここで呼ばれなかったらどうしようっていう気持ちでした。
にゃーにゃーコンビの思い出はWセンター
――2人で一緒にした活動の思い出を
清司 私はTDCホール(2018年)のユニットコーナーで「LOVE TRIP」を、にゃーにゃーWセンターでやらせていただいたことです。この曲ではアクロバットも披露したし、私たちからこそできるパフォーマンスだったので、思い出に残っています。
日下部 いっぱいあるけれど、2017年の総選挙のランク外コンサートが思い出深いです。NGT48だけで「僕たちは戦わない」を披露して、Wセンターをさせていただきました。あとは、そのコンサートでの48グループの若手選抜で、「言い訳Maybe」をNGT48から私たち2人を選んでいただいたことが、思い出に残っています。
れいにゃーが振り揃えを継承します
――卒業発表の日に、「日下部さんが卒業したら誰がダンスを教えるの?」と話題になっていました
清司 愛菜って本当に人をまとめる力があって、みんなが愛菜には絶対的な信頼を寄せていたんです。レッスンでも愛菜に頼ることがたくさんあったのですが、そこは私が。
日下部 おっ! 私は、ダンスは揃えることが大事だと思っています。横のラインや、振りのズレを、レッスン中に「ちょっと待ってください」と止めて指摘していました。その役割は大事ですが、麗菜も周囲を見ることができるので大丈夫だと思います。
清司 任せて! NGT48全体の横のラインと振りを揃えるところだけは、私が継承したいと思います(笑)。
(写真4枚 ③④はTDCホールで披露した思い出の「LOVE TRIP」)
次ページ以降を含めて写真は合計8枚
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NGT48清司麗菜&日下部愛菜ラスト対談 “にゃーにゃー” からのメッセージ に続く